神道夢想流杖道の歴史

流祖 夢想権之助勝吉

江戸時代初期の剣客で 夢想権之助は
生没年が不明であるため確実な記録は
残っていません。

神道夢想流杖術流祖である夢想権之助の
出生地には諸説あります。
記録や口伝においては常陸国
(現在の茨城県桜川市真壁町周辺)
出身とする説が有力とされており、
同市には生誕の地を記念する顕彰碑
が建立されています。

又創始者である夢想権之助の本名は
「山本 勝吉(やまもと かつよし)」
とも言われいくつかの伝承では
「平野 権兵衛(ひらの ごんべえ)」
という名も挙げられております。
神道夢想流創始者の夢想権之助勝吉は『神道夢想流秘伝』で、次の様に述べている。
『我が国においては剣術のみが武術であるとの考えが主流になっている。
しかし今後は人を殺さぬことを真理とする杖術こそが、武術の大本となるべきである。
その昔、天地開闢時、伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冉(いざなみ)の二尊が
「天の矛」をもって大海原をかきまぜ、この日本国を創られた。
この「天の矛」こそが棒(杖)であり神国日本の武を代表するものである。
日の神である天照大神も三剣を帯し、武を大いに尊ばれた。
五常(仁、義、礼、智、信)の道徳を守る事も大事ではあるが、
それのみではこの国を治める切る事は難しい。
武も必要であり、そして武をもって国を治めるには術(理念)が必要である。
よってここに一本の棒を用いた術を創立し、
志を持つ人々にこの武術を伝えるものである。
剣をもって人を殺すことが武の本来の道ではない。
棒(杖)を持つ者は、人を殺さず任を果たし万事を得ることが出来る様にすべきである。この書をもってこの様な考えを代々に伝える。』…等云々。
神道夢想流杖術の根本理念は人を殺す事にはあらず、人を救う事にこそある、と。
最後に伝書に記されている杖道の古歌を下に記す。
当流の武術に対する考え方が分かり易く表現されている内容となっている。
「敵の打ち太刀は 影さへなかりけり
我が稲妻の光満寿ゆへ突けば槍 払えば長刀 持てば太刀 杖は
かくにも外れざりけり疵つけず 人をこらして戒むる 敎えは杖の ほかにやはある」

1. 諸国無双の剣豪時代(修業と江戸での全盛期)

・二大流派の奥義を極める
 初めは常陸国(現・茨城県)の真壁氏の家臣に師事し、
天真正伝香取神道流の奥義を究めて免許を得ました。
さらに鹿島神流(または鹿島神道流)を学び、
秘伝である「一の太刀」の極意を授かったとされています。


・江戸での無敗伝説
 その後江戸へ出た権之助は、有名な剣客たちと数多くの仕合を重ねましたが、
一度も不覚をとることがありませんでした。
自ら「兵法天下一」を自称し、並ぶ者のない自信家であったと伝えられています。

2. 宮本武蔵との決闘と敗北(人生の転換点)

慶長10年(1605年)頃、権之助の運命を大きく変える
宮本武蔵との仕合が行われます。

・「十字留」に阻まれる
 権之助は4尺余り(約120cm)の特製木刀を手に武蔵に
挑みましたが、
武蔵の二天一流の極意である
「十字留(じゅうじどめ)」
によって武器を押さえ込まれ、
進むことも退くこともできずに眉間を打たれて敗北しました。

・打倒・武蔵への隠遁
 一度も負けたことのなかった権之助は、
この敗北によって自らの力不足を痛感します。
武蔵への復讐や打倒ではなく、
「どうすればあの十字留を破れるか」

という武芸の工夫専念の為、再び諸国をめぐる艱難辛苦の
武者修行の旅へ出ました。

3. 宝満山での霊夢と「神道夢想流」の創始

宝満山
修行の末、権之助は筑前国(現・福岡県)の大宰府天満宮の奥にある霊峰・宝満山(ほうまんざん)へとたどり着きます。

・丸木をもって水月を知れ
 宝満山の竈門神社(かまどじんじゃ)に3七日(21日間)にわたって参籠し、断食を交えた過酷な祈願を行いました。
満願の夜、夢の中に童子が現れ
「丸木を以て水月(すいげつ)を知れ」との神託(霊夢)
を授かります。

・杖術の確立
 この一言から閃きを得た権之助は、
太刀より長く槍より短い「長さ4尺2寸1分(約128cm)、
太さ8分(約2.4cm)」の白樫の円木(杖)を
考案しました。
そして、槍の「突き」、薙刀の「払い」、
太刀の「打ち」をすべて兼ね備えた
千変万化の武術「神道夢想流杖術」を編み出しました。

・武蔵との再戦(伝承)
 口伝や一部の記録では、杖術を完成させた権之助が
再び宮本武蔵に挑み、今度は武蔵の十字留を破って勝利した(あるいは、武蔵を傷つけることなく制して
相打ちに持ち込んだ)と伝えられており、
武蔵が生涯で唯一敗北、
もしくは引き分けた相手として語り継がれています。

4. 福岡藩への仕官と「不殺」の精神の伝承

晩年の権之助は、その卓越した武技を評価され、
筑前・福岡藩の初代藩主である黒田長政に剣術指南役
(あるいは杖術の指南役)として召し抱えられました。

・門外不出の御留流へ
 権之助が伝えた杖術は、藩内十数師範家が誕生して栄えました、
その卓越した実戦性から他藩への流出を防ぐため藩外不出の
「御留武術(おとめぶじゅつ)」に指定されました。

・不殺の理念への昇華

 若い頃は「天下一」を競う無法者であった権之助ですが、
杖術の開眼を通じて
「人を殺さず、傷つけることなく、しかも己の身を全うする」
という不殺(殺さず、傷つけず、ただ懲らしめる)の精神へと至りました。
この高潔な精神は、現代の「杖道」や、
警視庁の「警杖術」の思想として今もなお息づいています。

5。江戸時代の伝承:御留武術と十数家の師範家

江戸時代の神道夢想流には、一人の宗家がすべてを統べる制度はなく、
藩の許可を得た十数家の師範家が並立して藩士を指導していました。

・藩外不出の徹底
 他藩の者に技を見せることも禁じられていたため、
江戸時代を通じて一般に知られることはありませんでした。

・男業(だんぎょう)の中核
 福岡藩の武芸において、一角流十手術や一心流鎖鎌術などと並び、
実戦的な捕獲・護身術(男業)の中心的武術とされました。 

6.神道夢想流杖術 伝承者系譜(道統)

 江戸時代は福岡藩の「御留武術」として、中盤以降は複数の
師範家(平野家、濱地家など)に分立して伝承されましたが、
系譜上は以下のように代数が数えられています。

・伝承者(師範)名 時代・特徴

流祖 夢想権之助勝吉 
   慶長年間、宝満山での神託により杖術を創始。
二代 小首孫左衛門 
   吉重権之助直伝の弟子。
三代 松崎金右衛門重勝福岡藩士。
   一角流十手や一達流捕縄を組み込み、流派の基礎を確立。
四代 樋口半右衛門勝信 
   松崎より継承。ここから藩内での本格的な普及が始まる。
五代 原田兵蔵信貞 
   江戸中期の伝承者。
六代 原志右衛門氏貞 
   同上。
七代 永富幸四郎久友 
   同上。
八代 大野久作友時
   同上。
九代 小森清兵衛盈章
   同上。
十代 藤本平吉詮信
   同上。
十一代 永富甚蔵友載
   同上。
十二代 畑江久平則茂
   同上。
十三代 小西文太友諒
   江戸後期の伝承者。
十四代 渡辺辰助充豊
   同上。
十五代 平野吉蔵能栄
   幕末の師範。勤王志士・平野国臣の父(諸説あり)。
十六代 吉川和多留利正
   幕末期の師範。
十七代 香下只七
   同上。
十八代 濱地清市信敏
   黒田藩杖術指南役。濱地家に技を伝える。
十九代 加納伊七信利
   幕末期の師範。
二十代 大隈新八信勝
   同上。
二十一代 西田武吉森茂
   明治維新期への過渡期の師範。
二十三代 吉村半次郎重明
   幕末から明治。分立していた各師範家の技を整理・統合。
二十四代 白石範次郎重明
   明治〜大正。福岡の道場「振武館」にて現代杖道の祖となる高弟を育成。

7.江戸時代の主な師範家・指南役

神道夢想流の歴史上、江戸時代に福岡藩で杖術を指南した主な
家系や指導者は以下の通り。


・松崎家(松崎金右衛門重勝)
 流祖・夢想権之助、二代・小首孫左衛門に続く第三代の道統です。一刀流剣術の使い手でもあり、併伝武術(神道流剣術、一角流十手術、一心流鎖鎌術など)の基礎を固め、流派の発展に最も貢献しました。

・平野家(平野吉蔵能栄、平野能栄)
 幕末にかけて福岡藩で名高かった師範家です。
この家系からは幕末の有名な勤王志士であり杖術の達人でもあった
平野次郎国臣(ひらの じろう くにおみ)が生まれています。

・濱地家(濱地清市信敏) 
江戸末期に免許(第十八代)を授かり、黒田藩杖術指南役を務めました。
その血脈と技は近現代の伝承(愛杖会会長 濱地光男先生など)
へも繋がっています。

十八代 濱地清市信敏


8. 明治から昭和初期

解禁と伝承
 明治時代初期まで福岡藩でのみ秘密裏に伝えられていましたが、
明治4年の廃藩置県以降、一般にも紹介されるようになり,
内田良五郎、竹内幸八両師範により初めて東京に杖術が伝えられ、
その後、第24代・白石範次郎師範が福岡で道統を守り続け、
範次郎より免許を受けた高弟たちによって、神道夢想流は福岡の地から全国、
そして世界へと広がりました。

・二十五代:清水隆次 克泰
 白石の高弟。大正から昭和初期に上京し、警視庁の「警杖術」を考案。
全日本剣道連盟の「杖道(制定杖道)」制定の中心となり、
全国へ普及させました。

・二十五代:乙藤市蔵 勝法
 清水隆次とともに白石に師事。
九州を中心に古流の伝統(全六十四本)を正しく後世に伝えました。


・二十六代:濱地光一
 江戸末期の十八代・濱地清市から親族・直系

・二十七代以降はホームページ内系統図。

二十四代 白石範次郎重明
明治〜大正。福岡の道場「振武館」にて
現代杖道の祖となる高弟を育成。
二十五代 清水隆次克泰
大正から昭和初期に上京し、
警視庁の「警杖術」を考案。

剣道連盟の「杖道(制定杖道)」制定の中心となり、
全国へ普及させました。
二十六代 濱地 光一
昭和41年(1966年) 清水隆次先生より
神道夢想流杖免許(第二十六代)を授かる
昭和37年より名古屋市昭和区の一心寺で指導を始められ多くの弟子を育てられました。   
昭和54年には濱地先生と弟子たちにより、
愛知県における杖道の普及と発展のために
『愛杖会』が結成されました。 
 
二十六代 西岡 常夫
清水隆次(二十五代)師範に弟子入りし、
長年にわたり厳しい修行を重ねられ
1978年(昭和53年)
5月、清水隆次師範より、
「免許皆伝」を許されました。

昭和60年、濱地光一先生が亡くなられた後、
濱地光一先生の兄弟弟子であり清水先生より
免許皆伝(第26代)を授けられた西岡常夫師範
より長年に渡りご指導をいただいておりました.
平成26年2月8日に90歳にて永眠されました。   
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9.現代における伝承

現在、西岡先生より神道夢想流杖免許皆伝(第27代)を授けられた、
濱地光男師範を、二代目の愛杖会会長とし稽古・伝承活動を務めております。 
 
愛杖会 名古屋道場は濱地光一師範、西岡常夫師範を師事し、
濱地光男師範(第27代)より免許皆伝を授けられた
故石田博昭師範(第28代)の残された道場であります、
現在は石田師範より免許皆伝(第29代)を受けた上川純一・鈴木裕司を
師範とし神道夢想流杖道の精神と技を伝えるべく杖道の稽古を行っております。 

愛杖会以外でも各地古流道場並びに全日本剣道連盟などでは
制定型「居合道」と並び制定型「杖道」が広く稽古されています。

(愛杖会名古屋道場は古流を継承しており全剣連杖の稽古は行いません。)


九州 宝満山 竈門神社内、夢想権之助神社